飛行機が好きな美濃焼エバンジェリストのBlog2021-01-15T09:04:32+09:00日本初の美濃焼エバンジェリストとして活動をはじめ、ホンモノが生まれ、ホンモノが育ち、伝わり続けるための、「リアルパートナーシップ社会の実現」をミッションにした事業を将来的に行いたいと考えている。(社名はリアルニーズ)
大好きな飛行機や、得意分野であるIT&Webマーケティングを中心に、会社経営・リーダシップ論・F1の話題・米作りについてなど、幅広くライフワークを語ります。
JUGEM■2016年総火演予行に行ってきた -1-http://blog.realneeds.jp/?eid=11022016-08-27T22:15:00+09:002016-08-28T11:25:08Z2016-08-27T13:15:00Z急遽友人から声をかけてもらい、総火演の予行日のチケットをいただきました。
■チケットの入手倍率は20倍〜30倍
あの総火演!話題の総火演!
富士山周辺の演習場で1年に1回行われる実弾演習です。
そのチケットの入手倍率は20倍〜30倍にもなり、特に駐車場付き...美濃焼エバンジェリスト雑感
■チケットの入手倍率は20倍〜30倍
あの総火演!話題の総火演!
富士山周辺の演習場で1年に1回行われる実弾演習です。
そのチケットの入手倍率は20倍〜30倍にもなり、特に駐車場付きのチケットの入手は極めて困難だと言われています。
ヤフオクとかでチケットの値段を見るとびっくりします。
(ちなみに正規チケットは無料です)
■あの総火演を見学できる!!
そんな総火演の、しかも「予行」を見学でき、そしてなんと「駐車場付き」となれば、万難排して行くしかありません!
前日の20:00にチケットをもらい、翌日朝5時には自宅を出発するという強行スケジュール。
そして天気予報は無情にも雨の予報。
レンタカーも急遽手配して道順を調べ、雨ガッパも買いに行き、長時間座ることに対応するためにアウトドア用クッションも買うなど、考えられるすべての準備を終えて寝たのが0:30過ぎ。
遠足の前の日みたいにワクワクしながら寝て、朝を迎えます。
■出発
予定通り自宅を出て御殿場に。
途中渋滞もありつつ、7:30過ぎに指定された駐車場に到着しました。
ネットで予行の混雑具合とかを調べてみたのですが、本番当日の情報は多々あれど、予行の情報があまりありません。
予行なので基本的には関係者または関係者からの紹介で見学する人が多いために、なかなか情報がないのかもしれません。
ただ、やはり気になる予行の日の混雑具合。これについてはまたあらためて別記事にしたいと思います。
■駐車場へのアクセス
チケットを用意していただいた駐車場は「鏡原」という駐車場。
案内状に書かれていた住所をカーナビにセットして行ったのですが、カーナビの目的地には駐車場がありませんでした。。。
案内状に不備があったのかわかりませんが、住所以外にも目標ポイントが書かれていたので、そこを目指すことにしましたが、カーナビが導いてくれた地点周辺に自衛隊の施設があったので「多分こっち方面かな?」という勘を頼りに車を進めると、誘導してくれる自衛官が見えました。
挨拶をして駐車場の場所を聞いて、あとは前方を走る「お仲間」らしき車についていって、無事駐車場に到着。
■自衛官のお出迎えはさすが
今まで自衛隊のイベントとは航空祭しか行ったことがありませんでしたが、航空自衛隊の皆さんと同様、陸上自衛隊の皆さんの出迎えや事前準備には「さすがだな」と感じます。
車を止めてシャトルバスまで歩くこと5分。さすがに演習場は広いので、歩く距離がいちいち遠い(笑)
遠くからは予行の事前準備のために砲撃をしている戦車の音も聞こえてきて、歩く速度も自然に速くなりました。
■シャトルバスに揺られて20分
駐車場から演習場に向かう無料シャトルバスに揺られること20分。
途中、「射撃中。立ち入り禁止」という電光掲示板や掲示板をたくさん見かけます。
どうやら、演習場の中をシャトルバスで走っているようでした。
シャトルバスから見える風景は「木、木、木、木、木」です。
広い広い演習場の中を走っているので、当然といえば当然ですね。
次の記事に続きます。(記事は近日公開予定)
]]>■とても嬉しかった日http://blog.realneeds.jp/?eid=11012012-07-10T11:29:00+09:002012-07-18T02:36:45Z2012-07-10T02:29:00Z
2012年7月9日、34歳になりました。
たくさんのメッセージをもらって、本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。
今までは、お祝いされるというか、自分が主役になるというのが本当に苦手で、
コメントいただいたり、お祝いをしてもらうたびに、な...美濃焼エバンジェリスト雑感
2012年7月9日、34歳になりました。
たくさんのメッセージをもらって、本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。
今までは、お祝いされるというか、自分が主役になるというのが本当に苦手で、
コメントいただいたり、お祝いをしてもらうたびに、なんかソワソワするというか、居場所がないというか(笑)
でも今年は、「お祝いされたいなぁ」って素直に思えた自分に、一番びっくりしているのは自分です。
今まで「こうしたい」「こうしてほしい」ということを本音で素直に表に出してこなかった(みたい)のですが、それは、「こんなこと言ったらどう思われるだろう?」とか「それは言うべきではない」という気持ちのほうが優先していたからだと思います。
体調不良で約2年ダウンし、実家で引きこもり生活していた後、本格的に復帰できたのは、ちょうど去年(2011年)の7月です。
当時は、全てがもうどうでもよくて、思い通りにならなくて、後悔ばかりしていました。
先が見えない恐怖と絶望感って、とにかく恐ろしいです。
そういう過程を経て、「人の目より自分の気持ち」を自分で認めることができるようになってきて、「至らないところも含めて自分」ということを、やっと自分自身で認められるようになり始めてきたんじゃないかなと思っています。
1人でがんばらなくてもいいんだなぁって。
「まっすぐなくせに素直じゃないよね」というのは妻の言葉ですが、これは言い当てていて、名言だと思っています(笑)
やっぱりお祝いされたら嬉しいです。
自分が大切に思う人に、自分のことを大切に思ってもらいたいじゃないですか。
自分のことを気にかけてもらえるって、本当に幸せです。
ガマンは必要な事もたしかにありますが、自分で自分を認める(というより許せる)ことができないようなガマンはしないように努力している最近です。
自分が大事に思うことを、本当の意味で大事にすると、周りの事が見えるようになるし、感謝という気持ちが自然に持てるようになるんだなって気づきました。
大事にしたいことを大事にするって、簡単なようで、実はとても難しいですね。
すぐに僕はそういう気持ちを忘れそうになるので、忘れないように、ここに公表し(笑)感謝の気持ちを書き記しておきたいと思います。
僕の生まれ年、1978年のラム酒を記念に飲みました。
誕生日って、なんで生まれ年のものを飲みたくなるんでしょうね〜(笑)
と、独り言を言っていたら、
「それはボトルの中身と自分の中身の熟成具合を確かめてみたいからです。」とT氏より名言をいただきました。
]]>■ひとと違う事をするということhttp://blog.realneeds.jp/?eid=11002012-07-05T17:22:00+09:002012-07-05T08:26:12Z2012-07-05T08:22:00Z
どうせやるなら本格的に。どうせやるなら人と違う事を。
その大切さ、その意味するところが、最近になってやっとわかった気がしますが、
つい最近まで全然わかりませんでした。
人と違う事をやっていると、自分が認められているのか認められていないのかもわか...美濃焼エバンジェリスト雑感
どうせやるなら本格的に。どうせやるなら人と違う事を。
その大切さ、その意味するところが、最近になってやっとわかった気がしますが、
つい最近まで全然わかりませんでした。
人と違う事をやっていると、自分が認められているのか認められていないのかもわからない。
子供の頃などは、友達はやっていることを自分はやっていないから、話題についていけないことも多かった。
それで苦しかったこともなかったわけではないですが、今となっては、そういう経験ができて良かったと思います。
だから、仕事でいえば、他者と違う何か。
それは対応スピードでも丁寧さでも技術力でもなんでもいいので、
「この人は違うな」「この会社は違うな」と思ってもらえたら競合との差別化になる。
恋愛だって「あれ、この人今までの人とは違うな」(良い意味で)って思ってもらえれば、印象が良くなるはず(かな?)
もちろん家族や夫婦だって同じ。
でも、ただ違う事をやればいいってものじゃないですよね。
人と違う事をやるってことは、相手のことをちゃんと見てないとできないんだなということもわかりかけてきました。
だって相手の今までの経験値や体験にないことを提供するわけだから、相手がどんな経験をしていて、どんなことに価値を感じているのかがわからなければ、的外れになってしまいます。
例えば、わかりやすい例で、
・営業に行っているのに売らない。
・夜のお店に行って口説かない。
というような場合(例えがわかりやすいかは別として)、
相手にとって「営業マン=売り込む人」という経験ばかりの場合に「この営業は他と違う」となります。(←多分当たっていると思います)
相手にとって「お客さん=口説かれるのが当たり前」という経験ばかりの場合に
それを意図的にやれば、「この人は今までとは違うかも」となるわけです。(←それがどうかはその人に聞かないとわかりませんw)
そして、そもそもの問題として、
売って欲しいお客さんには売らなきゃいけないわけだし、
本心では口説く気満々なのに、とりつくろっても態度にでるからバレる。
口説かれることが好きでその仕事をしている人かもしれない。
だから、相手の反応、相手の本音、相手がして欲しいことをちゃんと理解して、考えて、想像した上で、「これは今までされたことがないだろう!」っていう「相手が本当は求めている驚きの対応」をする。
もちろんその対応は「自分もそうしたい」と思った場合に限って。
そういうことができるようになれば、最高なんだけどな〜って思います。
それが本当の意味で、【人と違う事をする】ということなんじゃないかと、少し考えてみたりしています。
そうなれるには、まだまだ精進が必要です。
]]>■撮れない風景3 〜リアルな声〜 (東日本大震災被災地を訪れて)http://blog.realneeds.jp/?eid=10992012-05-20T16:17:00+09:002012-06-18T07:23:03Z2012-05-20T07:17:00Zさて、前回の最後に少し書いた「現地で出会ったおじいさん」からお聞きしたことを書いてみたいと思います。
お話をお伺いしたおじいさん。
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車を降りて歩いていると、こんなものが目に入ってきました。
最初、なんの落書きなんだろ...美濃焼エバンジェリスト東日本大震災被災地訪問
お話をお伺いしたおじいさん。
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車を降りて歩いていると、こんなものが目に入ってきました。
最初、なんの落書きなんだろう?と思っていたのですが、よく見ると、復興について現地の方が書いた力強いメッセージでした。
「前より半分でいいから、この場所に住み続けたい」「家族と一緒に住みたい」
そんなメッセージが書かれています。
前のブログで「黄色い旗」の意味について書きましたが、それを知った直後だっただけに、余計にこの黒板から、感じることが多くありました。
すぐ隣で、なにやら作業をしているおじいさんがいらっしゃったので「これ、撮ってもいいですか?」と声をかけ、撮影させていただいたわけですが、当初から「現地の方とお話をしてみたい」という思いがあったので、勇気を出して、おじいさんに話しかけてみました。
それが、冒頭の写真の方です。
果たして声をかけて良いのだろうか?
失礼なことを聞いてしまったらどうしよう?
と思ったのですが、結果としてお話を聞けて本当に良かったです。
失礼ながら、お名前をお聞きしなかったのですが、「だいよし丸」の船長さんということはお聞きしましたので、以後「船長さん」とお呼びしたいと思います。
船長さんは「運が良かったから生き残っている」とおっしゃっていましたが、船長さんは、震災当日も、この場所で漁の片付けと準備をされていたそうです。
あまりにも大きな地震だったこともあり、心配した娘さんが車ですぐに駆けつけようとしたらしいのですが、道路はどこも大混雑していて、なかなか船長さんの所にたどり着けなかったようです。
しかも、道路の混雑・渋滞は「緊急車両によるものだった」ということです。
あまりにも大きな地震だったために、救急車、消防車、警察、ガス会社などの車両が一斉に動き出したことも原因だったのかもしれないとのこと。
また、現地の方も「津波がくる!」ということで、一斉に車で高台や遠方に逃げようとしたため、緊急車両を優先していた一般車は、半ば立ち往生してしまい、道路という道路が車でいっぱいだったそうです。
それでも、船長さんの娘さんは、携帯電話で色々な方と連絡をしながら、少しでも空いている道を選んで船長さんのもとにかけつけられたそうです。
「娘が道路の事情を理解していなければ、きっと二人とも津波にのまれて死んでいたかもしれない」
と船長さんはおっしゃっていましたが、それが生死の境になったことは事実のようで、
「ほら、向こうを見て。あの道路を左に行った人の多くはみんな津波に巻き込まれた。俺たちは右に行ったんだ。右に行った人の多くは助かった」
と、衝撃の事実をお話されました。
左に行くか、右に行くか。
その一瞬の判断と、その時持っていた情報の差で生死がわかれてしまうなんて、なんともやりきれない気持ちです。
でも、それが現実だったんだなと思うと、震災に対する備え、今後の人生観など、今の自分に大きな影響を与えていただいたお話でした。
また、津波の水がひいたあとは「盗難」被害が相次いだといいます。
漁の道具などを保管しておいた小屋は流されてしまい、津波で道具もバラバラになってしまったそうですが、近所の方の協力もあって、ある程度、漁の道具が船長さんの手元に戻ってきたそうです。
戻ってきた道具は、小屋がないので、野ざらしにして置いておくことになるのですが、
「昨日せっかく引き取ることができた漁の道具が、今日来てみたらなくなっていた」ということが、頻繁に起こったようです。
船長さんは、「これではせっかくの道具がなくなってしまう」ということで、自力で小屋を建てて、そこに道具を保管されていましたが、小屋ができあがるまでの間は、盗難被害にあうことが、とても辛かったとおっしゃっていました。
生死をわけた話、盗難の話など、実際にそれを体験されている方から直接お話を聞けたことは、自分にとって、大きな財産となりました。
いろいろと聞かれたくないこと、話したくないこともある中で、丁寧にお話をしてくださった船長さんに感謝です。
船長さんの船は、近くの方のご協力により、手元に戻ってきたようで、今現在も「だいよし丸」として、主に赤貝の漁に出られているとのことでした。
しかし、今、こうして船長さんのように、漁に出られる環境にある方は、かなり少数だそうです。
ちなみに、船長さんも、避難所に身を寄せていらっしゃるとの事でした。
そして、途中の黒板の写真ですが、船長さんの娘さんが書かれたそうです。
]]>■撮れない風景 〜黄色の旗〜(東日本大震災被災地を訪れて)http://blog.realneeds.jp/?eid=10982012-05-11T19:20:00+09:002012-05-11T10:22:13Z2012-05-11T10:20:00Z東日本大震災から14ヶ月目に入っているが、やはり現場でしか感じられないことは山ほどあった。
現地に行くと、空気感や時間の流れを肌で感じることができる。
当たり前の話だが、それを本当に理解している人はまだまだ少ないのかもしれない。
テレビの映像や写真を...美濃焼エバンジェリスト東日本大震災被災地訪問
現地に行くと、空気感や時間の流れを肌で感じることができる。
当たり前の話だが、それを本当に理解している人はまだまだ少ないのかもしれない。
テレビの映像や写真をみて、「わかった気になっている」
これが一番怖いことだなと思った。
この写真。
多分現地の方や現地を詳しく知る方は何を表現しているかよくわかっていただけると思います。
この、黄色の旗。
「私はここに住み続けたい」という意思表示だそうです。
現地のおじいさんに「あの黄色の旗はなんですか?」と伺って、初めて知りました。
今、被災地では、今後、自分たちが住むところがどうなるのか?
それすら決まらない状況が続いているといいます。
行政の思惑、今までそこに住んでいた方の思い。
それだけでなく、現実問題として、水面下では「お金」の問題も発生しているようです。
たった数メートル離れているだけで、土地の買い取り価格が10倍にもなるような場所もあると聞き、
そういう調整がうまくいかず、行政と住民とが裁判になりかけていたり、裁判をしていたりするそうです。
どうしても最大公約数的にならざるをえないかもしれませんが、やはりそこに住んでいる方にとっては、納得いかない気持ちも、よく伝わってきました。
さて、今回は少し短い内容となりましたが、次回は、先ほどお話しをしてくださったおじいさんから聞いた、
被災当時のリアルな話を書き記したいと思います。
]]>■撮れない風景 〜序章〜(東日本大震災被災地を訪れて)http://blog.realneeds.jp/?eid=10972012-05-01T21:36:00+09:002012-05-02T13:15:38Z2012-05-01T12:36:00Z
※スマホからのアクセスの場合、タイトル部分をクリックすると写真が表示されるようになります。
技術も経験も、まだまだ未熟だけど、僕は写真を撮ることが大好きだし、これからも撮り続けたいと思っている。
震災から約13ヶ月が経過した現地に、初めて足を運ぶ...美濃焼エバンジェリスト東日本大震災被災地訪問
※スマホからのアクセスの場合、タイトル部分をクリックすると写真が表示されるようになります。
技術も経験も、まだまだ未熟だけど、僕は写真を撮ることが大好きだし、これからも撮り続けたいと思っている。
震災から約13ヶ月が経過した現地に、初めて足を運ぶことにした時、その目的は「現地の今を写真に撮る」ということだった。
でも、今回、現地に入った瞬間「撮れない」と思った。
正確には、「撮れないと思った」のではなく、本当に撮れなかった。
実は、何度か復興支援活動を一緒にした石巻出身の方から、
宮城に行く前にこんな内容をメールでいただいていた。
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石巻は被害の少ない地域と、被害の大きかった地域との格差は歴然としてまして、更地になり整然としているところには、いとなみがありました。
どうか現状を見て頂いたことを被災地の外で伝えて下さい。
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当初は、僕が人に何かを伝えるなんて、少し違う気がしていた。
それに「被災地の外で伝える」という意味が、正直、少しだけわからなかった。
でもやっぱり、このタイミングで宮城県沿岸部を訪問したという事実を、このブログに、しっかりと残しておきたいと思ったし、何より「外で伝える」ことの意味が、今ではよくわかります。
だから、自分なりに感じたこと、気持ちの整理がつかなかったこと、見てきたこと、そんなことを、何回かにわけて、ここに書いていきたいと思います。
もしかしたら、気分を害する表現があるかもしれません。
つたない写真と文章なので、誤解をされるかもしれません。
そんな時は、どうか率直に指摘していただきたいと思います。
それでは早速、被災地に足を踏み入れた瞬間について、まずは書いてみたいと思います。
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仙台駅から車で、滞在先である多賀城市まで向かう間に、荒浜地区というところがある。
仙台駅からだと、ちょうど車で30分ぐらい走ったぐらいの距離にある。
仙台駅を出発した当初は、普通の街だった。
お店も元気に営業しているし、車もたくさん走っていた。
ホテルもたくさん営業していたし、地下鉄の拡張工事もしていた。
仙台駅東口には、ヨドバシカメラも堂々と新店オープンしていた日だった。
だから、これから目にする風景を、その時は想像すらできなかった。
頭の片隅に、テレビで観た映像が残ってはいたけど、この時点では、「やっぱり復興はかなり進んでいるのかな?」とすら思っていた。
車を沿岸部に進めていったその時、
まず最初に目に飛び込んできたのは、理屈では想像できないような壊れ方をしているガソリンスタンドだった。
その瞬間、自分が何を言葉にしたのかは覚えていない。
ただ一言「マジで・・・」と力なく発しただけだったように思う。
車を停めて、ガソリンスタンドのすぐ隣まで歩いてみた。
信じられなかった。
ガソリンスタンドのすぐ前には、多分コンビニだったと思われる建物が、鉄骨だけの姿で残っていた。
そのもっと奥には、基礎だけ残っている、工事現場のような光景が広がっていた。
幹線道路は、復興支援の車両や、がれき処理のトラックがひっきりなしに走っていた。
次々に目に飛び込んでくる風景をみて、「絶句」だった。
絶句。その言葉の通り、言葉がない。
どんな言葉で表現しても、現地で震災を経験していない自分には、
絶対に表現しきれない光景だった。
だから撮ろうと思った。撮るしかないと思った。
深呼吸を1回して、カメラをその風景に向けてみた。
でも撮れなかった。
シャッターを押せなかった。
撮ることが大好きで、シャッターを押すのがいつも楽しみな自分が、本当にシャッターを押せなかった。
それでもやっとの思いで撮ってみた。
撮った写真を、液晶モニタで確認してみた。
たしかに写っている。記録はできた。
でも、写っているだけ。
レンズの焦点距離とか、カメラの性能とか、発色とか、そういう次元の話じゃない。
たしかに写ってはいる。
だけど、自分が感じているそのままを撮れなかった。
写真は、その場の空気感までも写すと信じていたけど、今の自分にはそれは無理だなと思った。
現場の空気に完全に飲み込まれていた。
それぐらい、想像を超えた光景を、この3日間ずっと見続けることになる。
]]>■言葉を失うhttp://blog.realneeds.jp/?eid=10962012-04-28T22:51:19+09:002012-04-28T13:51:19Z2012-04-28T13:51:19Z東日本大震災から1年と少し経過。
そしてブログの更新も久しぶり。
そんな中、宮城県を一人訪れています。
言葉にならない景色がたくさんありました。
この瞬間、今の自分には写真をアップする以外に、言葉にすることはできません。
JUGEMテ...美濃焼エバンジェリスト東日本大震災被災地訪問
そしてブログの更新も久しぶり。
そんな中、宮城県を一人訪れています。
言葉にならない景色がたくさんありました。
この瞬間、今の自分には写真をアップする以外に、言葉にすることはできません。
]]>■作品を撮りたいhttp://blog.realneeds.jp/?eid=10952012-01-06T17:07:00+09:002012-01-09T08:09:26Z2012-01-06T08:07:00Z
僕が写真にのめりこむようになって、まだ3年近くしか経っていない。
しかも、撮影対象は飛行機(しかも旅客機)ばかりであることは、みなさんご存知の通り(笑)
ただ、昔から写真を撮ることは好きで、撮影枚数的にはたいしたことないけど、記録写真として携帯の...美濃焼エバンジェリスト雑感
僕が写真にのめりこむようになって、まだ3年近くしか経っていない。
しかも、撮影対象は飛行機(しかも旅客機)ばかりであることは、みなさんご存知の通り(笑)
ただ、昔から写真を撮ることは好きで、撮影枚数的にはたいしたことないけど、記録写真として携帯のカメラで撮影したり、コンデジは常に持ち歩いて撮っていたりした。
飛行機を撮ることはこれからもやめるつもりはないし、飛行機を撮るというジャンルに限定しても、まだまだ勉強したいことはたくさんあるし、もっともっと良い写真を撮りたいし、良い写真が撮れたという満足感をもっともっと味わいたい。
ただ、そういう気持ちが強くなってきたと同時に「写真」自体をもっと楽しみたいと、昨年(2011年)後半から思うようになってきた。
そして、少しずつ写真撮影にかける時間が多くなってきて、「撮る」だけでなく「観る」ことにも時間をかけるようになってきた。
ハマると徹底的にハマるのが自分の性格で、この状態になってしまったら、行くところまで行くしかなさそうです(笑)
そういう意味で、今は「作品」と呼べるようなものを撮りたいなという思いが強くなってきました。
そんな中で、
ところで「作品」ってなに?
どんな写真が良い写真なの?
撮影技術ってどんなものがあるの?
写真にも流派ってあるの?
有名写真家はアラーキーか戦場カメラマンぐらいしかしりませんけど?(笑)
風景ばかり撮ってるけど、人も撮りたいなぁ・・・。
などなど、いろんな疑問や欲求を持ち始めた自分がいます。
Facebookとかブログとかに最近アップしている写真の大半は、「人に観られること」を意識してアップしているものが多いし、何か伝えたいことがあって撮った写真をアップしていることも多いのですが、なんとなく、世の中一般的に言われている「作品」について、よくわからないのが実情です。
そんなことを気にして、理論的に写真撮ってもおもしろくないなとは思いますが。
多分これは「観る」ということに対する絶対的な量稽古不足だと思うので、まずは「作品」と言われている写真をたくさん観ることから始めようと思います。
そうすることで作品と言えるような写真が撮れたらいいなと思っています。
]]>■「まだ」か「もう」かhttp://blog.realneeds.jp/?eid=10942012-01-04T17:53:00+09:002012-01-04T08:53:35Z2012-01-04T08:53:00Z
■2012年始まりました。
ここ数年は、「いつ何をした」ということを、ほとんど覚えていないという年が多かったので、今年は日々記憶に残る毎日を過ごせる一年にしたいと思っています。
もちろん、撮った写真を見返したり、誰かと話をしている中で思い出すこ...美濃焼エバンジェリスト雑感
■2012年始まりました。
ここ数年は、「いつ何をした」ということを、ほとんど覚えていないという年が多かったので、今年は日々記憶に残る毎日を過ごせる一年にしたいと思っています。
もちろん、撮った写真を見返したり、誰かと話をしている中で思い出すことはありますが、ようするに「やりきった」という充実感を日々あまり感じてなかったのと、時が流れるスピードが遅かったり、逆に速かったりで、自分のペースが失われていたということなのかなと思っています。
■2012年大きな目標
2011年最後のブログにも書きましたが、今年の大きな目標の一つは
「今日は○○をやりきった。充実していた、と心の底から思ってから寝る」
ことです。
充実とは、楽しさや嬉しさだけでなく、その逆も含まれますが、とにかく、一日一日を丁寧に!と思っています。
そして、自分の中で、曖昧な言葉を曖昧なまま使わないことも心がけようと思っています。
※仕事においては、対外的に曖昧にしないといけないことも多々ある・・・(笑)
例えば今書いたことでいえば、「一日一日を丁寧に!」って、どういうこと?何が実現されたら丁寧に過ごしていることになるの?ということを、掘り下げて、自分がそのことに対して納得している状態であることを維持するということです。
これは何にも増して、2012年は大切にしたい。
仕事においては、常に「納品物」を意識することを忘れないようにしたいと思っていますが、これはまた別に書こうと思います。
■そんな事を書いていたら思いだしたこと。
新しい年が始まるとよくみかける書き込みで「2012年も、もう4日目ですよ!」という書き込み。
そして「2012年、まだ4日目ですよね!」という書き込み。
その文章の裏には、それを発している人の様々な思い、思惑、気持ちがあるわけなので、そのことに対して良い悪いを言いたいわけではない。
言いたいことは、そういう書き込みを読むたびに、自分が読んだその人の価値観に左右されすぎていたということ。
ある人に「2012年も、もう4日目ですね」と言われれば、「うわ、そうだよな・・・」と思ってしまい、別の人に「2012年はまだ4日目だからね」と言われれば、「それもそうだよね。」なんて思ってみたり。
なんとも流されやすいというかバカというか。。。。
このブログも、読み返してみると笑っちゃうぐらい主義主張、自分の価値観が揺れまくっている。。。
恥ずかしいことこの上ないですが、書いてしまったものは仕方ないし、その時にそういうことに影響を受けていた自分を受け入れるしかないので、このままにしておく。
■その話題に対して今の自分はどう思うか。
「2012年、今日で4日目」
ただそれだけです。
「もう」でも「まだ」でもない。
ということで、いつも書いている気がしますが、ブログの更新率がアップするよう、何か策を考えます。
「書くこと=整理すること」だと思うので・・・。
]]>■2011年は自分にとって「再始動」の年http://blog.realneeds.jp/?eid=10932011-12-31T23:22:29+09:002011-12-31T14:22:29Z2011-12-31T14:22:29Z2011年も、もうすぐ終わりとなり、2012年への橋渡しの時間となりました。
今年も自分にとって、大きな意味のある一年になりました。
意味のない一年なんてないとは思いつつも、今年は「再始動の一年」であったが故に、やはり深い意味を持つ一年になった気がします。
...美濃焼エバンジェリスト雑感
今年も自分にとって、大きな意味のある一年になりました。
意味のない一年なんてないとは思いつつも、今年は「再始動の一年」であったが故に、やはり深い意味を持つ一年になった気がします。
正直、常に自分をコントロールできていた一年ではなかったし、再始動をしたことによる、各箇所の不具合に遭遇し、それにうまく対処できなかった一年でもありました。
ですので、ご迷惑やご心配をおかけしてばかりだったし、今でも、まだご迷惑をおかけしている方々もいらっしゃいます。
そういう方々には本当に申し訳ないと思いつつ、(自分を正当化したいわけではなく)今の自分にはどうしようもない事も多々あるので、これから少しずつ改善していきたいと思っています。
そして、結果責任を受け入れるということについても、学ばせていただいた一年でもあったと感じています。
2010年の年末から2011年の年明けにかけて「再始動」として、エンジンをかけ始め、夏前には新しい環境に身を置かせていただけることにもなりました。
その新しい環境は、過去の自分を振り返った上で、自分がやりたいこととできることを自分自身でしかっりと見極めた上で、自分なりに覚悟を決めて飛び込んだ環境です。
そんな、自分の勝手な覚悟を受け入れて下さった関係の方には感謝の気持ちでいっぱいです。
自分を受け入れてくださった大きな要因としては「自分の過去の実績」が含まれていると思いますし、その実績が期待値にもなっているはずです。
ですが、自分としては正直、新しい環境に慣れるのが精一杯で、最高のパフォーマンスを常に発揮できていたわけではありません。
それは大きな反省点でもありますが「すぐに焦る」「すぐに結果を求めたがる」「人生を急ぎすぎる」という、今までの自分を卒業しつつあることが、自分にとっては大きな収穫でもありました。
できないことはできない。
だけど、それをできるようになりたいと願うなら、どうしたらできるのかを考える。
そして考えたことを行動に移し、実行し続ける。
そういう当たり前のことが当たり前の感覚として、自分の中に戻ってきたことも嬉しいことでした。
どうしても後ろ向きになってしまったり、発想が幼稚だったり、口先だけになりがちなここ数年だったので、「それを実現するためにはどうするか?」という発想と行動が自然にできるようになってきたのは再始動したことによって得られたことです。
2012年も、そこからまた一歩進んで、行動しながら軌道修正していき、「やりきった!」と思える毎日を過ごすことが目標になると思っています。
他人にとっての当たり前でも、今の自分にとっては当たり前ではないので、できていないことはできていないこととして受け入れ、成長していきたいと思っています。
ただ、先に書いたことを卒業しつつある過程において、やはり慢心というか、怠ける気持ちがあったことも事実なので、自分がさらに成長しながら、変化し続け、ベストなパフォーマンスを発揮していくことも目標にしていきたいと思っています。
それから、2011年は「再始動」の一年であった事に加えて、主にプライベート(というか趣味)では、「新たな挑戦」に一歩踏み出した一年でもありました。
自分にとって「写真を撮る」ということが本当に大切な事であり、心から好きであることを再認識したということもあるし、再認識したことによって「もっと上を目指したい」という気持ちが正直にわいてきました。
なにをもって「上」とするかの定義があいまいな状態なので、それを明確化しないといけませんが、「クリエイティブでありたい」という自分の欲求は、もうおさえられないものとなりました。
2012年は、基本的なスキルやノウハウを早期に学んだ上で「作品」と言えるような写真を撮れるようになる事と、一方では「職業としての写真撮影」についても足を踏み入れていきたいと思っています。
もちろん、飛行機撮影は自分にとっての絶対に失う事ができないベースですので、それはそれで引き続き継続しています。
飛行機を撮ることも好きですが、飛行機撮影仲間との出会いや仲間と過ごす時間というのも、自分にとっては大変貴重な財産ですので、その財産を資産としてもっと増やしていきたいなと思っています。
つれづれと書きましたが、2012年の目標もそれなりにたくさんありますが、それらの目標を達成するための心構えとして
・仕事、プライベートにかかわらず、「相手に豊かになってもらう」ということを常に意識する
・「それはクリエイティブか?」を常に自問する
それを忘れないように、新しい一年を過ごしたいと思います。
2011年もお世話になったみなさま、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした、自分。
2012年が素晴らしい一年になることに期待が膨らみます。
]]>■される側になってわかることhttp://blog.realneeds.jp/?eid=10922011-11-24T11:39:08+09:002011-11-24T02:39:08Z2011-11-24T02:39:08Z
相手の満足度を高めたいと思ったり、自分がやっていることが相手にどんな影響を与えているのかを考えるためには、「する側」から「される側」になってみると、よくわかるんだなと思う経験をさせてもらった。
・美味しい料理を作りたければ美味しいものを食べてみ...美濃焼エバンジェリスト雑感
相手の満足度を高めたいと思ったり、自分がやっていることが相手にどんな影響を与えているのかを考えるためには、「する側」から「される側」になってみると、よくわかるんだなと思う経験をさせてもらった。
・美味しい料理を作りたければ美味しいものを食べてみる
・ちゃんとした営業になりたければ、ちゃんとした営業を受けてみる
・例えば、良い車を作りたければ、たくさんの車に乗ってみる
というのは、ごくごく当たり前のことだと思います。
しかし、こと写真に関しては、そこまで考えが及びませんでした。
自分は今まで飛行機や風景しか撮ったことがなかったので、「人物を撮る」ということに関しては何も知らない状態で、人物撮影の場を経験させてもらったのですが、人物撮影について勉強したこともないので、知識ゼロ、経験ゼロ状態でしたが、機材のテストを兼ねて自分が撮られる人になってみた。
人物撮影って、撮る側も大変だけど、撮られる側も大変だな。
というのが率直な感想です。
「モデル」という職業に対して、イメージが変わった瞬間でもありました。
綺麗で、笑顔が素敵で、スタイル抜群というのが、モデルとしての必要条件(他にもあると思いますが)であって、充分条件ではないんですよね・・・。
例えば
立ち位置の決め方。
体の向け方。
意思疎通のやり方。
などなど、自分が撮られる側になってみるとよくわかることがたくさんあります。
でも、自分が「写真を撮る人」である以上、上記のことがわからないということは、すなわち「撮る人として基本的な事がわかっていない」ということ。
自分が逆の立場になった時、自分が持っている知識や経験がどれだけのものかという判断ができるということを知る、良い経験になりました。
今後の楽しみ(=課題/目標)も増えた、良い時間を過ごすことができました。
このブログでも、人物関係の写真が登場する日が近いかもしれません。
]]>■手段はいくらでもあるhttp://blog.realneeds.jp/?eid=10912011-10-27T16:42:00+09:002011-10-27T07:43:32Z2011-10-27T07:42:00Z
いまさらですが、目的を達成するためには、手段はいくらでもあるんだなと。
最近、自分自身の行動で「あ、そういうことか!」と思ったのは、
【英語】
英語で何かを話す機会があるとすれば、例えば海外旅行が一番想像しやすいと思います。
世界共通語で...美濃焼エバンジェリスト雑感
いまさらですが、目的を達成するためには、手段はいくらでもあるんだなと。
最近、自分自身の行動で「あ、そういうことか!」と思ったのは、
【英語】
英語で何かを話す機会があるとすれば、例えば海外旅行が一番想像しやすいと思います。
世界共通語ですので、どの国に行っても、一番使う言語だと思います。
・タクシーに乗って行き先を告げる時
・ホテルでインターネットを使いたい時
・レストランで注文する時
・人に道を聞きたい時
などなど、人と人が会話するシーンはたくさんあります。
ただ、自分は英語が堪能でもなければ、得意でもありません。
しいていえば、最近海外ドラマをたくさん観るようになって、英語に対する抵抗感がなくなったことぐらいです。
そんな状態なので、言葉が通じることのほうが珍しいわけで、意思疎通をするのに、それなりに苦労します。
(ようするに通じない(笑))
そんなとき、通じないことに焦ってしまい、もう一回「話さなきゃ」とか「会話しなきゃ」という思いが強くなって、通じないくせに、また話そうとするという、冷静に考えれば、無駄というか無意味な事をしてしまいます。
「○○まで行く」という目的を果たすために、タクシーという交通手段を使い、運転手に行き先を告げる必要があるわけで、「運転手と英語で話すこと」が目的ではありません。
だとしたら、英語で話して通じないなら、たとえば行き先が書いてあるメモを渡すなり、行き先が写っている写真を見せるなりして、「目的地」を運転手にわかってもらえばいいんですよね。
そんなことに、つい最近やっと気づいたわけですが、そう考えると「英語」も所詮は手段と思えるようになります。
英語ができると世界が広がるというのは事実だと思うので、変な苦手意識やネガティブな気持ちを持たないで、目的を果たすための英語を自分のものにしたいなと思っています。
]]>■こだわりと排他的考え方のバランスhttp://blog.realneeds.jp/?eid=10902011-10-07T17:32:00+09:002011-10-07T08:37:36Z2011-10-07T08:32:00Z
アップルコンピューターの製品が、こんなにも人を魅了し、受け入れられるのは、「技術的にどうのこうの」という部分も満たしつつ、それ以上に「美しさ・使いやすさ」などのモノとしての機能美があったからだと思います。
■99%では満足しない
iPodをはじめと...美濃焼エバンジェリスト雑感
アップルコンピューターの製品が、こんなにも人を魅了し、受け入れられるのは、「技術的にどうのこうの」という部分も満たしつつ、それ以上に「美しさ・使いやすさ」などのモノとしての機能美があったからだと思います。
■99%では満足しない
iPodをはじめとするアップルコンピューターの製品の生みの親である「Steve Jobs氏」は、製品開発において、決して妥協を許さなかったという逸話も多く聞かれます。
その中には、99%の完成度では満足せず、必ず100%かそれ以上のものを求めたとも言われています。
特筆すべきは、企業のトップ自らが「自分が使いたい!欲しい!」と思える製品のみを発表してきたことだと思います。
だからこそ「作品」と言われるのだと思います。
ビルゲイツ氏もソフトウェア開発においてはかなり細かくプログラマにくってかかると聞いたことがありますが、ビルゲイツ氏の場合は、「技術的優位性」や「ビジネスとしての面白さ」のほうに大きなウェイトがあったと思われます。(あくまで僕の想像です)
■こだわれば排他的になる
それほどまでにこだわっている製品開発であるからこそ、結果的に排他的な製品がたくさん生まれてきたとも言えます。
求めている究極のプロダクトに仕上げるためには、コストを下げるために納得いかない技術や部品を使うのではなく、徹底的に理想を求める。
その結果、どうしても自社オリジナルの仕様にならざるを得ないし、自分たちが満を持して発表している製品を、わけのわからない第三者に勝手にカスタマイズされたくないという思想になるのだろうと思います。
一方で、そういう開発姿勢によって生み出された製品だからこそ、多くの人は魅了されたのだと思います。
SONYのそれとはまた違う「排他的」です。
うまく言えませんが、この感覚、わかっていただける方、いらっしゃいますかね?
■究極の自己満足
なんだかんだといって、アップルコンピューターの製品は、究極の自己満足製品なのではないかと思います。
良いとか悪いとかではないし、こんなにも多くのファンやマニアがいるぐらいなので、逆に「悪い」とは言えないですね。
自分が欲しい物を作るということは、欲しくないものは作らないということだし、「自分が欲しい=誰もが欲しい」とは限りません。
ただ、「欲しい」の本質にあるものが、とても先進的で、そして本質的であったことは事実だと思います。
■ある時代のau
個人的にですが、ある時代のauも、とてもおもしろい企業だと思っていた事があります。
「そうそう、そういう機能が欲しかった!」とか「それを待ってました!」みたいなコンテンツやサービスをたくさん提供していた時期があったことを記憶されている方も多いかと思います。
ただ、「へー!そんな世界もあったんだね」という新しい提案というか、新しい考え方を生み出したという記憶はありません。
■結局最後は
その意味からも、技術的に優れているとか、天才的な技術開発力があるとか、そういうことは結構どうでもよくなってきていて、「新しい価値の提案」とか「新しいライフスタイルの提案」とか、そういうことができる企業しか、モノ作りの分野では生き残っていけなくなっている時代になったんだなと思います。
そして、ますます人としての感性が大切にされる世の中になっていくんだろうなと思います。
■そういえばF1も
書いていて思い出しましたが、僕はF1も好きですが、以前ほどのめりこんでいません。
それはある時から、F1が美しくなくなったからです。
エンジン音、フォルム、デザイン、どれをとっても、以前のF1に比べて美しさがありません。
もっといえば、レース戦略やピット戦略ですら、以前は美しかったのに、今は退屈すぎます。
一方で、エンジニア達による技術開発はとんでもないスピードで進んでいます。
いくら技術的に優れていても、やっぱり美しくないものには魅力を感じないんだなと、これを書きながら、あらためて再認識しました。
日本ではデザイナーやカメラマン、クリエイターなどは成功する仕事になりにくいですが、世界では事情が違います。
日本において、クリエイターが本当の意味で認められ、尊敬されるようになった時に、はじめてアップルコンピューターのような企業が認められるようになるんだろうなと思います。
]]>■モノ作りの考え方を学んだSteve Jobs氏亡くなるhttp://blog.realneeds.jp/?eid=10892011-10-06T11:29:00+09:002011-10-07T03:03:28Z2011-10-06T02:29:00Z
2011年10月5日、アメリカの超有名企業アップルコンピューターでCEOであったSteve Jobs氏が亡くなったとのニュースを、地下鉄の中でFacebookの書き込みを読んで知った。
僕はアップル大好きでも、マック大好きでもないけれど、圧倒的なメッセージングカンパニーのリ...美濃焼エバンジェリスト雑感
2011年10月5日、アメリカの超有名企業アップルコンピューターでCEOであったSteve Jobs氏が亡くなったとのニュースを、地下鉄の中でFacebookの書き込みを読んで知った。
僕はアップル大好きでも、マック大好きでもないけれど、圧倒的なメッセージングカンパニーのリーダー、そして、パイオニアとしてのSteve Jobs氏を尊敬していたし、いつかは会ってみたい、会ってもらえるような人になってみたいと、憧れていた人でもあった。
勝手な思い込みではあるが、IT業界にいると(特にITバブルの前ぐらいからITバブル真っ最中までの間)、不思議と「この人に会いたいと思ったらいつでも会えるんじゃない?」みたいな感覚になることがある。
ただ、多分自分は「どうがんばっても、あんな人にはなれないだろうな」という印象も持っていました。
これほどまでに世界中の人々を魅了するプロダクトやメッセージを発信し続け、価値を創造し続けた会社は他にないと言っても過言ではないほどの会社であると同時に、素晴らしいリーダーだったのではないかと思います。
個性的であることから、多分、好き嫌いが真っ二つにわかれるような人物だったと想像できます。
事業として成功している経営者はたくさんいると思いますが、人として愛されながら事業も成功している経営者というのは、なかなかいないように思いますが、Jobs氏はそれを両方とも手に入れたのではないかと思います。
もちろん、僕なんて足下にも及びませんが・・・。
Steve Jobs氏のような人生を歩みたいかと言われれば、多分答えはNOだし、そもそもそういう人生は自分にはできないことです。
ただ、
「今までになかったものを生み出す」ことについては、共感できる部分が多いし、驚かされることも多々あった。
Steve Jobs氏は、技術についても大変長けていたという話はよく聞く。
でも、Steve Jobs氏は「技術」という視点ではなく
「ユーザーにとっての本当の価値は技術ではなく考え方やコンセプトである」
という確固たる信念を常に持っていたのだと思います。
モノ作りに少しでも関わる身としては、この考え方に大きな影響を受けています。
でもやっぱり、お互いに生きている間にSteve Jobs氏には会ってみたかった。
そういう意味でも、残念でなりません。
]]>■継続性を少しは意識できるようになったかなhttp://blog.realneeds.jp/?eid=10882011-09-09T19:19:00+09:002011-09-20T10:24:52Z2011-09-09T10:19:00Z
ここ最近「継続性」ということを意識できるようになってきた、と自分では思っています。
以前にもこのことを書いたような気がしなくもないですが、より一層意識しているということで再エントリー。
■何をやるか?何をやめるか?
時間やお金など、持って...美濃焼エバンジェリスト雑感
ここ最近「継続性」ということを意識できるようになってきた、と自分では思っています。
以前にもこのことを書いたような気がしなくもないですが、より一層意識しているということで再エントリー。
■何をやるか?何をやめるか?
時間やお金など、持っているリソースの大半は有限です。
有限である以上、やりたいことを全て同時にできるわけでもないし、逆にやめたいことをすぐにやめられるわけでもないです。
ということで、最近はそれらの判断基準として「継続性」を強く意識するようにしています。
僕はとっても弱いので、すぐに楽をしたがる(笑)←いや、笑い事じゃないな・・・
しかも、新しいことや自分の知らないことに対する好奇心も旺盛なので、すぐに何かに飛びついてしまう傾向にある。
今まで散々これで苦労してきた、というか失敗してきたわけです。
にも関わらず、その傾向・性格を改めることができずに、この歳まで生きてきました。
■きっかけは忘れたけど
しかし最近、何がきっかけかは忘れましたが「続かないことはやらないほうが良いし、続けられることをやろう」と強く思うに至りました。
きっかけはなんだったんだろう?ほんとに思い出せません・・・。
これは、好きなことだけやるとか、努力をしないとかではなく、「続けたいと本気で思うこと」や「続けたほうが絶対に良いこと」「続けることで意味のあると思うこと」に注力して、そのことに活動をシフトしていこうということです。
■継続性を判断基準にすると
そう強く思ったら、無理しなくなりました。
良い顔するのも少なくなりました。(やっぱり良い顔してしまうことも多々あるのが課題)
できないものはできないんです。
今はできないんだからしょうがない。
だけど、今はできないけど、絶対できるようになりたいと思うことや、ずっと続けたい、続けてみて結果を得たいということに優先的に取り組めるようになってきた気がします。
もちろん、今までやってきたことで、これから先も続けたいことも、続けていこうと思います。
■「〜すべき」がなくなった
なかなか表現が難しいですが、今までは、「〜すべき」「こうあるべき」みたいな先入観がすごく強かったのと、周りが良いといっているものは必ず良いはずだから、それができない自分はダメなんだ、みたいな発想にどうしてもなってしまっていました。
でも自分にとっての「継続性」を意識するようになったら、「〜すべき」という意識が少なくなりました。
あと、今さらですが、やっと自分の頭で考える事ができるようになってきたんだと思います。
■責任の意味もわかってきた(気がする)
それと、継続性を意識するようになって、副産物的に学んだ事は「責任」について。
過去を振り返ってみると、本当に申し訳ないことに、一緒に進めていたプロジェクトが途中で自然消滅してしまったことも少なくありません。
これって、よく考えたら無責任ですよね。(よく考えなくても無責任ですね)
その都度、きちんとしてきたつもりではありますが、でもやっぱり良いことではありません。
プロジェクトに関わる以上は、どのような結果になるにせよ、最後まで取り組んだほうが良いはずです。
結局最後まで続きませんでした、というのは本当に無責任だし、最後まで続けられないのであれば、最初から関わらないほうが良いとも思います。
結局、その時に良い顔したいから、中途半端に引き受けたりすることが、そのような結果を招いているということなんでしょうけど。。。
■少しずつだけど
そうはいってもすぐには変われないので、日々失敗ばかりではありますが、自分の中では少しずつ、何かが変わっている実感はあります。
目に見えた成果はないけど、意識レベルで、常に「継続性」を意識できていることは、自分にとって、大きな成長過程にあるんじゃないかなと、自己満足的に思っています。
この意識も、ぜひとも「継続」させたいところです。
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